大判例

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東京高等裁判所 昭和29年(う)1421号 判決

被告人 坂本寛

〔抄 録〕

本件は検察官が所論のような住宅放火未遂の訴因を内容として公訴を提起したものであるが、原審は審理の経過に鑑み検察官に対し、予備的に器物損壊の訴因を追加すべきことを命じ、検察官がこれに応じて予備的に器物損壊の訴因を追加したところ、原審は被告人に住宅放火の犯意を認むべき証拠が十分でないとし、右予備的訴因を採用し被告人を器物損壊罪として有罪としたものであることは所論の通りである。よつて被告人に住宅放火の犯意を認定しなかつたに原判決の当否について訴訟記録を調査するに、原審及び当審で取調べたすべての証拠を以てしても被告人に本件家屋を焼燬する意思があつたことを認めることはできない。然らばいわゆる未必的な故意を認めることができるかどうかの点であるが、家屋の中にある布団に放火しそのまま放置すれば、その布団を焼燬し、布団を焼燬すればその附近の畳、建具その他の物件に延焼し、家屋の一部をも焼燬する結果を招くこともあり得ることは一般経験上予想せられるところであつて、特別の事情のない限り通常人は何人もこれを予見するものと認めるのが相当である。しかしながら記録によれば判示布団は女中岡田美佐子の専用として雇主から貸渡されているもので、客との遊興が終ればその都度別室に片付け、次の客があれば更にこれを持出して使用し、やがて自己が就寝するときはまたこれを使用するのであつて、遅くも同人の就寝時刻までには再びこれを寝間に敷き延べるもので、そのまま何時までも放置しておくものでないことが認められ、被告人に対する司法警察員の供述調書中被告人の供述として「又別な遊び客でもくればそんなに大きくならないうちに発見して火事になるまでには何とかして消し止めるんだろうと思つたので知らぬふりしてその部屋を出た」との記載がある点に徴しても被告人としては右布団が火事になるまで放置されるものではないと考えていたことが窺われるのである。のみならず被告人は当時適量以上に酒を飲み良い気嫌で判示栄屋こと久田好雄方に行き、女中岡田美佐子の勧めにより遊興したのであるが、原判示のように同女及び同家女将等の客扱いに不満を抱き、その意地はらしのため点火した巻煙草を掛布団の布と綿との間に挿入して立去つたことが認められるのであるから、かかる情況のもとにおいては被告人が右煙草の火が布団を焼燬し、更に畳、建具その他の物件に延焼し、家屋の一部をも焼燬する結果を招くかも知れないということを予見していたとは認め難い。尤も被告人に対する司法警察員に対する第一回供述調書及び検察官に対する第一、二回供述調書中には「そのまま放つておけば火事になるのではないかと思つていた」という趣旨の記載があるが、右供述記載は前記の理由により被告人が右犯行の際家屋焼燬についての未必の故意を有していたという真意を述べたものとはたやすく措信し難くその他被告人の未必的故意を認め得べき証拠は存しない。然らば原審が被告人に住宅放火の犯意を認めなかつたのは正当である。しかしながら訴訟記録及び当審事実審理の結果によると、被告人が原判示の如く点火した巻煙草一本を判示掛布団の裏側の布と綿との間に挿入したまま同所を立去つたため、右巻煙草の火により該掛布団及び敷布団の各一部を原判示の如く焼燬し、その儘放置すれば同家建物に延焼し大事に至るべき虞ありと思料せしめるに相当な状態を生ぜしめ、因て公共の危険を生ぜしめた事実を認めることができる。然らば被告人の本件所為は正に刑法第百十条第一項に該当するのであるのに原審が単に器物損壊罪と認定処断したのは事実の認定を誤つたものでありその誤りが判決に影響を及ぼすこと勿論であつてこの点において論旨は結局理由があり、原判決は刑事訴訟法第三百九十七条により破棄を免れない。

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